所蔵品紹介コーナー


このページでは、プッペンハウスヨシノ発行の機関誌プッペンハウスニュース (休刊中)の毎号表紙で連載されていた所蔵品紹介を掲載します。

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 飯や汁物などをすくう道具を杓子(しゃくし)と総称する。しゃもじは杓子の 女房言葉である。先の椀状になったものはお玉じゃくしというが、古くは貝じゃ くしとも呼んでいた。その名の通り、お玉の部分が貝殻で作られたものがあった のだが、一般家庭の台所では、とうの昔に減んでしまった道具のひとつである。
さて、今回紹介する台所、一般的に水屋と呼ばれており、主に関西万面で雛の 節句の時に並べられたといわれている。立体的なもの、平面的なもの、箱型のも のとに大別されるが、これは箱型のもの。両側を折ると一つの箱になり、収納に 便利な造りとなっている。とはいえ、これを買う余裕のあった昔の家が、道具ひ とつの収納に苦労したとも思えないから、実際の便利さよりも工夫の面白さが売 りだったのではないかという気もする。たたんだ箱の表には「雛用家道具一式明 治35年2月吉日 鈴木光子」と墨で記されている。製作年もこの年か前年(明治34 年・一九O一年)あたりとみていいだろう。概して日本のものは年代判定が難しく 、このように確実な証拠があるものは、他の物の年代を推定する参考ともなり有 り難い。
ところで貝じゃくしである。
写真中央、流しの上にぶら下がっているのが見られる。杓子定規の語源は、昔 のそれの柄が曲がっていたことから来ているが、この時代にはすでにまっすぐに なっていた等、こんな小さなものからでも色々なことがわかる。それにしても貝 の道具というとひどく原始的な印象を受けるのだが、明治の後半まで一般的な日 常品として使われていたとは驚きであった。もっとも我々の作ったドールスハウ スを見て後世の人々も「平成の人間は木のしゃもじを使っていた」とびっくりす るのかも知れない。そういえば我が家のしゃもじもプラスチック製に代わって久 しい。
補記・・・今回紹介した台所、当館発行のカタログには「大正〜昭和初期」と なっています。ミスを深謝すると共に「明治34年頃」と訂正させていただきます 。

(プッペンハウスニュース 1995年3月 5号より)
今回の写真は白黒となります。




「雛用家道具一式」
明治35年2月吉日 鈴木光子

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